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私の読書遍歴(長文)
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| 1.幼年時代(小学生になるまでのかすかな記憶) |
| 小さな頃の記憶というと、先ず思い浮かぶのが、縁側に寝転がってマンガ本を読んでいた、という光景です。
昭和30年代前半の当時、松江市の市街地は今よりずっと狭く、私の生家は市街北部の住宅地とでも言えるような場所にありました。3才の頃から自宅から100m程離れた幼稚園に通っていましたが、幼稚園と道1つ隔てた向こうには、田園地帯が広がっていました。もっと近くにも、今では消え失せた「原っぱ(雑草が生い茂った未使用地)」があり、近所の子供たちの格好の遊び場になっていました。 テレビなど言葉さえ聞いたことがなく、もちろんTVゲームなど想像もつかない時代でしたから、小さな子供の遊びといえば、昼間はこうした原っぱ等で、かくれんぼとか鬼ごっことかに興じ、日が暮れる前に家に帰ると、あとは子供向けの本やマンガを読む以外には娯楽の手段もありませんでした。 私も外で遊ぶのはキライではなかったのですが、他の子といっしょになって遊ぶより、近くの原っぱにたくさん置かれていた醸造用の大きな酒樽(ここは酒造り屋さんの土地で、大人の背丈より高い大きな樽を、洗ったり日干しするために使用されていたようです)によじ登って、中にひっそり隠れていたり(秘密基地みたいなものですね)、横倒しに並べられた樽の上を、一人で飛び回ったりするのが好きでした。 そんなふうに、小さい頃から、どちらかというと孤独を楽しむ性格でしたから、自宅でマンガ本を読むというのが、最も幸せなひとときでした。裏庭には季節の花が咲き乱れ、庭の片隅には無花果の木がありましたっけ。そんな庭を吹き抜けるそよ風を感じながら、寝転がってマンガを読みふけっていました。 どんなものを読んでいたかは、もう殆ど覚えていませんが、少年画報っていったっけな、月刊のマンガ雑誌などを読んでいたような記憶があります。「赤胴鈴之助」とか「まぼろし探偵」とか、内容は完全に忘れてしまいましたが、この雑誌に連載されていたのではないかと思います。当時の漫画雑誌は多分月刊本が中心で、マンガの他には、『世界マメ知識』的な読み物(例えば、ラフレシアという人よりも大きな花があるとか)、プロレスラー列伝とか、戦艦XX物語とか、いってみれば硬派な構成でした。えっちのかけらもなかったですね。 そのかわりと言ってはなんですが、近所に(多分)4〜5才年上のお姉さんがいて、どういうキッカケか分かりませんが、この人が私を(ヘンな意味ではなく)かわいがってくれていまして、しょっちゅう、この人の家に上がり込んで、少女マンガを読ませて貰っていました。マーガレットとか少女フレンドですね。こちらの方は少年マンガと違って、刺激的な絵はないにしても、恋愛ものとかが多かったんじゃないかと思います。 唯一記憶に残っているのは、少女が母親だかを探すために、一人ぼっちの旅に出るというお話です。道中の危険を避けるために、男装して旅をつづけているのですが、どこかで警察の不審尋問にひっかかり、身体検査されそうになります。この時、親切な婦警さんが事情を知り助けてくれるという沽bだけ、なぜか分かりませんが、うっすら覚えています。それにしても、女の子の一人旅がなぜ危険なのかも分からないまま、こんなマンガを楽しく読んでたんだから、我ながらかなりのマセガキだったと思いますね。 また、当時はマンガだけでなく、多分ピーターパンとか竹取物語など、童話や昔話の絵本も読んだと思いますが、そのあたりの記憶は完全に消滅しております。 |
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| 2.小学校時代(昭和36年〜昭和42年) |
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私が通っていた小学校は、生家と道1つ隔てた向こう側にありました。正門は反対側だったのですが、それでも玄関を出て2〜3分で教室までたどり着けるという近さでした。 そんな風な便利さはありましたが、小学校生活そのものは、それほど楽しい思い出はありません(誤解を受けないように書いておけば、つらかったという思い出もありません)。1つには、勉強はそこそこ出来た、というより成績優秀な方だったと思いますが、子供の頃からころころしていたのが、小学校の頃にはあきらかな肥満児になっていました。 そのせいもあって、運動という運動が苦手で、走ればいつもビリだし、夏の水泳では泳げないし、そもそも太った体を見られたくなくて、夏は嫌な季節でした。それでも低学年の頃には、友達に誘われて3角ベースの野球を遊んだりもしましたが、少し大きくなって、フライを捕る練習だとか、ノックだとか幼友達がそんなことを始める頃になると、全くついていけず、一人で遊ぶことが多い毎日になりました。 学校の裏手には、使わなくなった机や椅子を、何十個も積み上げた一角があったりして、放課後になると、ここの机の隙間に潜り込んで、本を読んだり、お小遣いで買ったメンコを整理したり眺めたりして、夕方になるまで時を過すのが好きでした(これも秘密基地ですね)。 そういう生き方が少し変わったのが、3年生の頃だったでしょうか。友達に誘われて、県立図書館に初めて出かけました。そこは私にとって夢の国でした。児童室の中には、大きなテーブルがいくつか据え付けられ、それを取り囲むように、壁際一杯に書庫が並べられていました。この無数の本を、ここで自由に読んでいいのだと知った時、この魔法の国の虜になってしまいました。 最初の日は、本を借りて帰るということを知らず、閉館の5時まで、友達のことなど忘れて読みふけっていたと思います。そして、その翌日も、またその翌日も、学校が終わって家に帰るなり、ランドセルを置いて、自転車で県立図書館に出かけるという、そんな毎日を送るようになりました。そのうち、2冊まで借りて帰ることが出来る、ということを知ると、図書館で閉館時間まで読書を続け、閉館間際に1冊か2冊借りて家に帰り、その日のうちに読んでしまって、翌日返す、そんな毎日でした。 私の本好きは親からも(外で同じ年頃の子供たちと遊ぼうとしないことには、多少不満もあったようですが)好意的に受け止められたようで、家でも、世界名作全集等、いろいろ買ってもらえるようになりました。こちらの方も、図書館で借りた本同様、夢中になって読んだ記憶があります。 それでは、具体的にどんな本を読んだかということですが、残念ながら殆ど記憶に残っていません。ただ分野的には、オズの魔法使い、コナン・ドイルのホームズものや、H・G・ウェルズ(タイムマシン、失われた世界など)、ジュール・ヴェルヌ、ルパンもの、エドガー・アラン・ポーなどの、ワクワク楽しい本を図書館で仕入れ、親には定番の名作もの(小公子、小公女、家なき子・・・)を買い与えられたような気がします。 はっきりしているのは、日本の作家のものは殆ど読まなかったということで、これはおそらく、児童室に日本作家のものがあまり置いてなかったことが一因かと思います。そのそも、昭和30年代には、小さな子供向けの日本作家本が一般的ではなかったのかもしれません(根拠のない推測です)。 唯一はっきりと、小学校時代に読んだことを覚えているのは、1冊の伝記です。ツォルコフスキー、ゴードン、フォン・ブラウンなど、ロケット開発を夢見た人々の伝記を纏めたもので、10歳だかの誕生日に、友達が金を出し合ってプレゼントしてくれたものです。それまで伝記は読んだことがなかったのですが、少し読み始めると夢中になりました。 特に、ツォルコフスキーが壮年期(だったか)に失明した時「これで余計なものに煩わされず、思索に専念できる」と却って喜んだ、というような記述を読んだ時の感動は今でも思い出せます。「僕もいつか科学者になって、ロケットを飛ばすような仕事をしたい」そんな風に(結局かなわなかったものの)将来への夢を初めて抱かせてくれた、記念すべき本でもありました。 こんなふうに読書を続けた結果、図書館の児童室には、未読でかつ興味を引く本がだんだん少なくなって来ました。小学校を卒業する頃には、図書館に出かける頻度も少なくなってきたように思います。それでも、まだ見ぬ新たな作品との出会いを求め、週に何回かは図書館通いをつづけていました。 こうして活字本に溺れるようになっても、相変わらずマンガは大好きでした。学校の近くの「よろずや」で毎週少年サンデーなどを買って、「おそ松くん」だとか、「伊賀の影丸」だとか、夢中になって読んでいました。また、週末には良く母に連れられて、母の実家だとか、そのそばの母方の伯父の家で従兄弟と遊んだのですが、ここでも、1つ年上の従兄が古本屋で借りてきた漫画本を読みふけりました。 特に「ボーイズライフ」に載っていた、さいとうたかを作画による「007」は、それまで目にしたマンガと一線を画すリアルな絵と、少し大人っぽい内容(ただし、えっちシーンはありませんでした)で、驚きを感じたことを覚えています。 この時期のもう一つの娯楽は、TVでした。私が小学生になった頃には、NHKで「ちろりん村とクルミの木」が始まっていたのではないかと思います。もっとも当時はTVは超高価な機械で、誰でも買えるようなものではありませんでした。低学年の頃には、夕方になると近くの家に通い、こうした子供番組を見せてもらっていたようです(はっきりした記憶は残っていません)。 ちなみに、そんな風に、TVを持っているお金持ちの家に、近所の知り合いが集まって見せてもらうというのは、当時としては当たり前のことであり、TVだけでなく例えば電話も、どの家にもあるようなものではなかったので、必要なときにはご近所で使わせて貰うというのが当たり前のことでした。 私の家が初めてTVを買ったのは、ご多分にもれず、東京オリンピックの年(昭和39年)でした。私が小学校4年生の年です。今ほど番組も多くなく、昼間でも放送していない時間帯などもありました。TVが来ても、私の娯楽の中心は読書であり続けましたが、それでも夕食時とか週末を中心に、TV番組を楽しみました。 歌番組は見なかったし、当時人気のあったプロレスも、(多分)父が嫌っていたので見せてもらえませんでしたし、特に見たいとも思わなかった。プロ野球すら興味ありませんでしたからね。 見たということを覚えている番組は、鉄腕アトム(最初の頃の着ぐるみに人が入って演技するものと、後から始まったアニメ)、鉄人28号、ディズニーランド、ウルトラQ、名犬ラッシー、宇宙家族ロビンソン、奥様は魔女などです。要するに、アニメ(=動くマンガ)とドラマ(=演ずる小説)が好きでした。結局私の好みは、マンガと本につながっているということですね。 変わったものでは、5年生の頃かな、アメリカのハイスクールの女の子を主人公にした「カレン」というドラマが好きでした。主人公のカレンが二人の男の子に告白されて悩んだりとか、初めてのダンスパーティーに行くのに、父親に背中が開いたドレスをプレゼントされて「こんな大胆なの着て行けない」と困ったり、そんな(アメリカの)普通のティーンの日常生活を題材にした、1話完結シリーズでした。 母親なんか「こんなのどこが面白いの?」と半ば呆れてましたが、何故かと聞かれると分からないけど面白かったです。毎日夕食が終わると勉強をはじめ、納得するま止めなかった私が(学校の成績が良いというのが、唯一の取り柄でしたから、勉強では誰にも負けたくなかったんです)、この番組だけは、勉強を中断して見てましたから、本当に好きだったんですね。強いていえば「赤毛のアン」に近い世界をドラマで見ることができるのが良かったのかもしれません。 こうして、自我が確立する頃には、日本のマンガと欧米の小説が、三度の飯より好きな少年になっていたわけです。 |
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| 3.中学校時代(昭和42年〜昭和45年) |
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小学校生活が可もなく不可もないものだったのに対し、中学生時代を思い出すと、苦いものがこみ上げてきます。主な理由は、運動音痴にもかかわらず、運動部に入ったことにあります。これは大失敗で、毎日放課後が近づくのがイヤでイヤでたまりませんでした。かといって、意地っ張りな性格も災いして退部することもできず、結局暗い3年間を過ごすことになってしまいました。 そんな毎日を過ごしている反動もあって、本を読んでいる時だけは、嫌なことを全て忘れることができる至福の時間でした。この頃は、特に日本の文学作品を沢山読んだという記憶があります。例えば、次郎物語とか、山椒大夫、ぼっちゃん・・・いわゆる名作は、中学生向けの文庫シリーズで殆ど読破しました。 海外作品の方も、いわゆる純文学を中心に手当たり次第に読みました。いまではタイトルしか覚えていませんが、ヘッセの「車輪の下」だとか、「ナナ」だとか、そういった作品が中心だったかな。わずかに内容を覚えているのは、トルストイの「人にはどれだけの土地が必要か」(だったかな?)という寓話風の短編です。 ロシアの農夫が悪魔に「日が暮れるまでに紐で囲った土地を全てお前のものにしてやる」とか言われて、夢中になって走り回って土地囲いを行い、あげくに心臓発作で死んでしまい、小さな墓に埋葬されるというお話。ようするにこの農夫が最後に必要としたのは、墓場を作るだけの土地だったということですね。このお話は、こういう類のかなりキリスト教的な思想が色濃い作品を集めた、トルストイ短編集で読みました。 この短編集をきっかけにトルストイに興味を持ち、お決まりの「戦争と平和」とか「復活」等を読みました。そして最後に「アンナ・カレーニナ」にたどり着きましたが、この作品は、男と女の真実を知ったばかりの幼い私には衝撃でした。 こんなきれいな女性(別に挿絵があったわけではなく、勝手に綺麗な女性だと想像しただけですが)が、夫がいながら他の男に抱かれるというのが、何だか許せないというか、何でそんなことするんだろうと、すごく嫌な思いが残った。この不倫の場面から先に進むことができず、以来、この作品は手に取ることもありませんでした。 この時期、純粋なSFは殆ど読みませんでしたが、ファンタジー系のものは結構読んでいたような気がします。今でも覚えているのは、「ナルニア国」シリーズ、ル=グインの「ゲド戦記」シリーズです。特にナルニア国シリーズの方は、最初の「魔術師の甥」も面白かったのですが(これ、未だにストーリーを覚えています)、「最後の戦い」で、白いライオン「アスラン」(キリストの象徴です)が「私を信じていると口では言いながら本当は信じていないものは、邪神の信仰者であり、逆に邪神に対し真の信仰を貫いているものは、実は私を信仰しているものなのだ」とかなんとか言う場面を、なぜだか今でも覚えています。 こういった宗教色が濃い作品をいろいろ読んだせいもあるのでしょうし、最初に書いたように学校生活が苦痛だったせいもあるのでしょうが、この3年間は結構内面の思索に耽った時代でもありました。「生きると言うことはどういうことか?」なんていうような大上段に構えた疑問こそ持ちませんでしたが、 自分は今、本当に起きているのだろうか?実は夢を見ている最中ではないのだろうか? この世界は本当に存在しているのだろうか?実は今見える範囲だけに世界が存在していて、その先には実は何も存在しないのでは? といった数々の疑問がわき上がり、結構真剣に苦しみました。苦しんだ末に、中学校を卒業する頃「この世界が実在するのか、また自分自身が実在するのか、どちらも証明することはできない。従って悩んでもむだで、見えるままに受け入れるしかない。」という、まあ当たり前な結論に到達し、ようやく心に平静を取り戻すことができました。 文学作品の他にも、冊数は少ないながら、いろいろ雑多なものを読みましたが、その中で私の考え方とか趣向に大きな影響を与えた本は、次の2つです。 1つは、イリーンの「人間の歴史」3部作です。この当時は分かりませんでしたが、高校時代になって思い起こせば、あきらかにこれは共産主義をベースにした歴史本でした。今思うと、共産主義に対してかなり楽天的に過ぎるような気がしますが、当時はこれにすっかり洗脳されてしまいました。今でも基本的な部分では共感を感じます。人間社会がどうあるべきか、という点での私の考え方に大きな影響を与えた本でした。 もう一つは、中学生向けの数学解説書シリーズで、参考書ではなく、高校でやるような数学のさわりを平易に説明した本です。特に微分・積分の考え方には、すっかり心を奪われました。高校生になるとこんなに美しいものを学べるのかと、うっとりしてしまいました。(これも実現できずに終わった夢ですが)大きくなったら数学者になりたいという、その後7年間持ち続けた夢の起点になった本でした。 なお、中学生時代には、TVの方は殆ど見ませんでした。日常の軽い娯楽としては、やっぱりマンガでしたね。特に記憶に残っているのは、妹に借りて読んだ、楳図かずおの「ママが怖い」「へび少女」等、恐怖マンガシリーズですね。こういうのは少年誌にはなかったし、何よりあの独特の絵が怖くて、すっかりはまりましたっけ。 それから、最後になりましたが、卒業も近くなること、たまたま友達から、星新一の短編集を貸して貰い、あんまり面白いのですっかりファンになってしまいました。これが私とSFの再接近、そしてSFマガジンとの出会いのきっかけになりました。 |
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| 4.高校時代(昭和45年〜昭和48年) |
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中学卒業間際、星新一の短編集を探しに本屋に出かけました。そして目的の本は見つかりませんでしたが、かわりに雑誌欄に「SFマガジン」が置かれていることに気づきました。 それまでに読んだ何冊(あるいは何十冊)かのSF本の訳者や編集者が福島正実さんで、あとがき等でこの雑誌について語られることも多かったので、SFマガジンという雑誌の存在自体は、小学校の頃から知っていました。また、一度読んでみたいという思いも持ち続けていました。 そんなわけで、この偶然の出会いは、その後の私の読書ジャンルを決定づけることになりました。中学校までは、いわゆる純文学を中心に、周辺小説の一ジャンルとしてSFを読んでいたのですが、この後は、SFを中心に、他の分野の小説も読む、というスタイルに変わりました。 中学校を卒業する頃には、だれでも読むような作品はたいてい読破してしまっていたため、SFマガジンとの出会いが、きっかけを与えてくれたという見方も出来ます。 それでは、具体的にどんな作品を読んだかと言えば、先ず夢中になったのが古典的なスペースオペラです。たしかスカイラークシリーズからはじめて、レンズマンシリーズに出会い、2年生の夏休みの時だったかは、本屋に日参して、火星シリーズ(全10巻)を立ち読みで読破したりしました(本屋さんごめんなさい)。 その時代、SFの単行本は見かけなかったし、あったとしても私の読書量を満足させる程のお金のゆとりもなかったので、殆どの本は創元推理文庫で入手しました。市内の大きめの本屋4軒ぐらいを、毎日のように自転車で周回し、創元推理文庫の書棚をチェックし続けました。 この間、SFマガジンも毎号、それこそ嘗めるように読んでいたので、アーサー・C・クラーク、アイザック・アシモフといった大御所の名前を覚え、今度は、作者で選ぶというやり方で、銀河帝国の崩壊(読んでみると小さな頃読んだジュヴナイルの原作だということに気づき、ちょっと感動した)、ファウンデーションシリーズなどとも出会いました。 ヴァン・ヴォークトの作品群(イシャーの武器店シリーズ、非Aの世界 等)に出会い、「非A(アリストテレス)哲学」なんていう、いかにもSFっぽい虚構に感激した記憶もあるし、かっこつけてJ・G・バラードの短編小説を2〜3冊買ったりしたのも懐かしい思い出です。 いちいち作品を挙げているときりがありませんが、高校卒業までに創元推理文庫のSFは殆ど購入するか立ち読みするかで制覇してしまいました。創元推理文庫に関して言えば、私の部屋の本棚の在庫は、少なくとも市内のどの本屋よりも図書館よりも充実しているという自負さえ持つほどでした。 ちなみに早川書房の方は、まだ文庫シリーズが出たばかりで、ポケットサイズって言うんでしたっけ?文庫本より少し縦長のペーパーバック中心でSFを出版していましたが、何となく装丁がきらいだったため、あまり利用しませんでした。気に入った作者の創元推理文庫に収録されていない作品(アシモフの銀河帝国ものと、ハル・クレメントの作品が殆ど)を入手するためにたまに購入するという程度でした。 さて、『高校時代はSFを中心に読んでいた』と書きましたが、この時期、SFと並んでせっせと読んだのが、推理小説です。きっかけは、創元推理文庫を中心にSF本を購入していたため、この文庫の中心である推理小説にも自然に目がいくようになったためです。 推理小説の方は完全に作者中心で、気に入った作者のものを徹底的に買い集めるというやり方でした。最初はシャーロック・ホームズもの(これも小さな頃、子供向けの本で一部読んでいましたが)を制覇し、引き続き、エラリー・クイーン、アガサ・クリスティ、F・W・クロフツ等の作品を読み続けました。 特にお気に入りの作者はエラリー・クイーンで、この後社会人になるまで作品を集め続け、10年以上かけて執念深く全作品読破を果たしました。何冊かはどうしても和書が入手できず、英語力のなさに泣きながら原書を読んだりしました。 エラリー・クイーンっていいんですよね〜。推理パズルとしての論理性を保ちながら、主人公探偵の優しさや、事件を解決することによって、関係者に、より深い悲しみをもたらすことへの悩み、そういうものが感じられて、適度に湿っぽくて、今でも大好きです。 日本作家の作品に関しては、SFでは星新一以外は殆ど読みませんでしたし、推理小説の方は全く関心もありませんでした。高校生時代は見事に海外作品に偏っていたと思います。SF、推理小説以外だと、カフカとかカミュとか、そういう不条理ものに興味を引かれましたが、読書量はさほどでもありませんでした。 なお、高校時代にはますますTVには無縁な生活を送っていましたし、映画も卒業間際に1本見た記憶があるだけです(ちなみに、その映画の題名は「デカメロン」で、これが初めて見た18禁映画でした)。マンガの方は、あいかわらず、少年マガジンとかサンデーとか読んでました。 最後に、高校時代の典型的な一日を書くと、朝起きて、自転車で学校に出かけ、2時間目か3時間目が終わったところで早弁。昼休みは学食でうどんなどを食べ、午後の授業が終わると、生物クラブの部室に出かけ、鍵をかけてトランプゲームに興じ(たまにはクラブ活動もやってましたよ!)、夕方近く、帰りがてら書店でマンガの立ち読み。帰宅して夕食・風呂のあと、午後7時頃から12時頃まで勉強して、その後、布団の中で本を読みながら眠りにつく、という感じだったかな。休日は昼間も勉強して、合間に本屋や図書館で遊んでいたかな。 県下でも有名な進学校で、その中でも成績優秀な生徒が集まる理数科でしたから、毎日の勉強はハードでしたが、勉強は嫌いじゃなかったし、何人かマブダチもできたので学校は大好きでした。受験地獄なんて感じることなく、毎日楽しく生活してたという思いが残っています。 |
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| 5.大学時代(昭和48年〜昭和52年) |
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高校卒業まで、市外に出かけることなど殆どなく、まして県外に出かけた経験は、小さな子供の頃の奈良旅行(家族旅行)、小中学校の修学旅行程度だったと思います。これはひとつには小さな頃から乗り物が苦手で、タクシーに乗っていても気持ちが悪くなるほど乗り物酔いがひどかったので、遠出なんてまっぴらごめんという感じでした。 そういえば、健康面についても、中学1年ぐらいまでは、太って丈夫そうな見かけとは裏腹に体も弱く、しょっちゅう風邪を引いて寝込んだり、少し過食をすると腹痛で苦しむという風でしたが、こちらの方は、成長とともに頑丈になり、めったに風邪をひくこともなくなりました。おそらく中学校で運動部に入って、体が鍛えられたからでしょう(運動部に入って唯一良かったことだと思います)。 ところが、車酔いの方は、中学3年の修学旅行の頃にも改善の兆しが見えず、いつも気持ちが悪くて、食事も満足に食べられず、旅行を楽しむどころではなかったという記憶があります。不思議なことに、高校に上がると突然、1時間程度の汽車(電車ではありません)旅行なら平気になっていたのですが、長旅の自信はありませんでした。 そんなわけで、大学受験のために東京まで出かけた時には、受験の準備よりもむしろ、行きの新幹線で気持ちが悪くなって寝込んだらどうしよう、という方がずっと心配でした。ところがどうしたことか、幸いにもJR(当時は国鉄でしたね)9時間余りの旅行にも酔うこともなく、入試も無事に突破、めでたく大学生になることができました。 学生時代は、井の頭線の電車が軒の下を走っているような民家の2階に下宿し、ここで4年間を過ごしました。雨戸を閉め切っても、すぐ近くを通る電車の轟音が鳴り響くという環境でしたが、慣れというものは恐ろしいもので、2ヶ月もすると、それほど気にならなくなりましたし、大家さんも親切な方だったし、近くに商店街や銀行もあったし、学校にも近かったので、電車の音以外には何も不満のない生活環境でした。そんなわけで、卒業までの4年間、この部屋を城にして過ごしました。 大学時代の毎日の生活といえば、寝ているか、学校に行っているか、部屋で勉強しているかまたは読書、あるいは酒を飲んでいるか、といういたって大人しい毎日でした。女の子にも、それほど興味がなかったし(誤解されないように書いておきますが、男にも興味はありませんでした)、1回だけコンパに誘われたことがありましたが、意味のない会話を続けるのが苦痛で、一次会で逃げ出してしまい、その後はお誘いもかからなくなりました。 大学生の頃、筒井康隆の「エスパー七瀬(だったかな?タイトルは自信なし)」を読んだら、七瀬が男の思っていることを読みとると、みんなセックスの事ばかり考えていて嫌気をさす、という場面がありました。わたし、それ読んでびっくりしました。きれいな人だな〜とか思うことはあっても、自分的にはセックスの対象として女性を見たことなんてなかったので、やっぱり自分の感性は普通の男と違うのかな〜と思ったりしました。 性欲がないわけじゃなくて、それは人並みにはあると思うんですが、例えばセックスに至るまでのプロセス(くだらない会話をしたり、見たくもない映画を見たり・・・)を考えると、煩わしくてとてもそんな気になれない。それより本でも読んでたほうがよっぽど楽しい。格好良く言えば、知的好奇心の方が性欲をはるかに上回っていたということです。さらに言えば、知的好奇心は食欲さえ上回っていました。連休前に銀行に行き忘れて、ポケットに1000円しか残っていないようなとき、まよわず文庫本を2冊買って、3日間は残り物のパンの耳で過ごす、というようなこともありました。 こんな風に書くと、部屋に引きこもっていたような印象を受けるかもしれませんが、学校の施設を使ってウェイト・リフティングや長距離走で体を鍛えたり、休みの日には友達と山歩きをしたり、結構外でも過ごしていました。ただ、類は友を呼ぶというのは本当で、私の回りには女の子と遊んだりする友達が集まらなかったので、いつも色気ぬきでした。 私にとってやっぱり一番楽しいのは、安酒(たいていはサントリー・ホワイト)を飲みながら本を読むという時間だったです。平日だと、夕食がわりにフランスパンをかじりながら、ストレートのグラスを傾け、深夜までそのまま本を読み続けるといったこともありました。 3年生になったころ、同じ学科の友達から、父親が経営するホテルの中古品TVを3千円で譲り受けましたが、それまではラジオの深夜番組をバックグラウンドに本を読んでましたね。TVを手に入れてからもせいぜいプロ野球かクイズ番組を見る程度で、娯楽の中心は本でした。 ジャンルとしてはSFが中心のつもりだったのですが、高校3年間でせっせと読み続けたおかげで、だんだん面白そうな本が少なくなってしまいました。特に創元推理文庫の方は既刊本を殆ど読み尽くしてしまったため、新発売のものを見つけると中身に関係なく買ってみるという感じでした。作家としてはアイザック・アシモフが好きになり、古本屋を廻って絶版本を探したりしました。 また、この頃から、ハヤカワ文庫SFがそれまでのスペオペ・冒険SF一辺倒スタイルを脱し、デューン砂の惑星シリーズとか、ロジャー・ゼラズニイ、ハインラインといった作者の作品が出版されるようになりました。前述したように創元推理の方は殆どの既刊本を読んでしまっており、また少なくともSFに関しては、同文庫よりもハヤカワの出版点数が多かったため、こちらを中心に購読するようになっていきました。 そうは言っても新刊本の発行スピードには限界がありますから、冊数で見ると、読書の中心は推理小説にだったような気がします。一番好きなエラリー・クイーンについては、簡単に入手できるものは高校時代に読み尽くしていたので、アガサ・クリスティ、F・W・クロフツ、それとヴァン・ダインあたりが中心だったかな。クリスティの作品ではポワロではなく、トミーとタッペンスシリーズが一番のお気に入りでした。 推理小説については外国作家だけでは足りずに、横溝正史(金田一耕助シリーズ)、高木彬光(神津恭介シリーズ)といった日本作家のシリーズも読み漁りました。敢えて言えば、横溝はヴァン・ダインの、高木はエラリー・クイーンの代替作品として好んだという感じです。 そういえばSFの方も、豊田有恒のタイムトラベルものとか、ヤマトタケルシリーズ、今は亡き広瀬正さんの作品や、筒井さんの短編集など読みました。特に広瀬さんの作品はなんというか日本人ぽくない、乾いた雰囲気が好きでした。 大学生時代にはSF、推理小説以外にも、作家を決めて集中的に読んだりしました。日本人だと、北杜夫(ドクトルまんぼうシリーズ、さびしい王子様シリーズ)、安部公房(こっちの方はかなり回りにカッコつけて読んだような気がする、なんせ砂の女とか箱男とかタイトルは思い出して内容の方はさっぱり覚えていないです)あたりかな。 外国人では一時期ディケンズにはまり、色んな文庫を探して読みあさりました。といっても、二都物語、大いなる遺産、デヴィット・コパフィールド等、有名作品ばかりですが・・基本的にこういうロマンティックな作品が嫌いじゃないってことを初めて自覚しました。 それから、もう一人はまったのがジョージ・オーウェルです。たまたま学校の英語教材として、Road to Wigan Pier を読んだのがきっかけで、この人の思想に共鳴するものを感じ、他の作品を探して何冊か読みました。もっとも、この人の場合、小説よりエッセイの方がいいですね。 それにしても私が思想的に共感できる人って、楽天的な共産主義に憧れていながら、心の奥底で実現不可能だと諦めている(と思われる)人が多いんですよね。ジョージ・オーウェルしかり、SF作家ではコードウェイナー・スミスも多分そうだし、J・P・ホーガンもきっとそうでしょう。ホーガンの場合、だんだん諦めが表に出てきて、最近は夢や別世界への逃避小説になってきてる。あるいは、ハックスレーの場合には「すばらしい新世界」では、楽天的な共産主義を実現するためには人間性そのものをコントロールする仕組みが必要だ、と突き放しながら、最後には「それでもひょっとしたら」という望みを捨てきれないでいたようです。 この他にも、一時期ソリジェニーツィンの著作を読みふけったり、「ノンポリ」学生ではありましたが、それなりに社会体制とか政治に対する関心があったようです。そういえば、この頃は「こまわり君」で有名な漫画家、山上たつひこが、政治漫画や風刺漫画を描いていて、「光る風」なんていう、日本の再軍備家を予言するような作品もありました。特に学生達の間には、そういう流れに対する危機感も強かったと思います。そういう中で私自身の中にも、日本の前途に対する漠然とした不安があり、それが社会体制をテーマにする作品指向に結びついたのでしょう。 そう言う意味では、あのころ(25年前)の少なくとも学生達は、ものすごく日本という社会を愛していたのかもしれませんね・・・ 最後に、この4年間、アルバイトもせず仕送りだけで生きている身としては、あまり無駄遣いするのも悪いという気持ちもあったので、マンガを買うことは全くなくなり、立ち読みですませてました。映画の方では一時期、ヘップバーン作品に夢中になったりしました。やっぱり私は本質的にはロマンティストなんです。 |
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| 6.社会人になってから結婚まで(昭和52年〜昭和58年) |
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大学を平凡に4年間で卒業し、これまた平凡に某企業に就職して、私のサラリーマン生活がはじまりました。最初の1年半ほどは、仕事もさほど忙しくなく(会社としてはかなり忙しかったようですが、逆に先輩たちが忙しすぎて、私たち新人にまともに仕事をさせる余裕などなかったようです)、従って読書に関しては、大学生と同じくらいの時間を割くことができました。 趣向の方も大学時代と変わらなかったのですが、SF&推理小説とも、ますます未読本が少なくなっていたため、もはや作者の名前には拘らず、毎日のように新刊本を探しては、面白そうなものを買うというやりかたでした。 丁度この頃、SFブームがはじまり、サンリオSF文庫から本邦初訳の作品が次々に出版されていきました。軽い紙質や、今ひとつこなれていない訳文など、不満は多々あったものの、他の出版社の本では読むことが出来ない作品ばかりで、それなりに読書欲の一部を満たしてくれました。 ただし、訳文がひどくて、1冊読み通すのが結構苦痛だったりしました。そんなわけで、ル・グィンの作品とかも何冊か読んだ記憶がありますが、内容はさっぱり思い出せません。むしろ記憶に残っているのは、半村良の外道衆シリーズ等、伝奇作品ですね。この頃は、面白そうな外国作品を見つけることができず、そのかわりのように、半村良とか、豊田有恒、それに平井和正を結構読みました。 特に、昭和54年にSFアドベンチャーが創刊され、真・幻魔大戦の連載がはじまった時には、ホントに嬉しくてたまらなかったです。その頃には、会社でも「新人」ではなくなっていたので、仕事の方も結構ハードでした。客先に近い三鷹市に臨時寮がしつらえられて、ここから中野まで通っていたのですが、一番大変な時期には、朝出ると、仕事先で3日ぐらい徹夜して、4日目の夜中にようやく帰寮。軽く寝て翌日の昼頃にはまた出勤、というような生活でした。一度だけ、マジに帰りの電車で立ったまま寝ていて、三鷹を乗り過ごしたことさえあります。 こんな生活の中でも、本は読み続けていました。主な読書場所は、三鷹の某スナックでした。無精ひげの多分30代後半のマスターが、半分趣味でやっているんじゃないかというようなお店。そもそも住宅地の真ん中にあるもので、近くに住む人以外には、店の存在も分からないと思われます。私もたまたま三鷹駅から寮に歩いて帰る途中だったので気づいた次第です。 店にはいると、6人がけくらいのカウンターが店内の半分を占め、残りの半分のスペースに小さなテーブルが1つか2つ置いてありました。詰め込めば12人ぐらいの客が入ったかと思いますが、満杯状態など見たことがなかった。そもそも客の99%は、近場に住んでいる常連さんで、私も人のことは言えませんが、毎日のように姿を見せる人も少なくありませんでした。 真夜中に顔を覗かせると、そういった4〜5人の常連が「今日は遅いね」なんて声をかけてくれ、反対にたまたまその日の最初の客になったようなときには、他の常連が来るのを待ちかまえる。たまに初めてのお客さんが入ってくると、常連が手分けして、お絞りの準備やら、水割りを作ったりする、そんな店でした。 そんな仲間内の雰囲気が強かったためでしょうか、この店では、囲碁、バカラ賭博(大負けしても一晩で千円程度の可愛い賭博でした)・・・何ヶ月か周期で遊び事が流行り、酒を飲みに来るというより、仲間とわいわい楽しむ店という感じでした。ウィスキーの代金も安かったし、つまみなんて殆ど誰も頼まないし、みんな給料日払いやらボーナス払いのツケで飲んでいるし、「この店よくつぶれないな〜」と感心すること仕切でした。 さて、私はこの店で、他の常連とも遊んだり、当時流行初めていたカラオケを楽しんだり(画像なし、曲が流れるだけのシンプルなシステムでした)もしたのですが、もう一つ、ここは私に取って大切な読書場所でした。仕事場から帰る途中、駅の書店で文庫本を1冊買い、店に入るとカウンターの一番奥の壁際に陣取り、ストレートのグラスを傾けながら読書に没頭。読み終わると、集まっていた仲間と遊びに興じる。そんな一時が、肉体的にも精神的にも苦しい仕事のあいまの、至福の時間でした。 一時期、小さな頃読んだ本への回帰が起きたことがあり、三銃士シリーズ、赤毛のアンシリーズ、オズの魔法使いシリーズなど、子供向けの翻訳で昔読んだタイトルを、シリーズ一式で読み返した記憶も残っております。そういえば、今話題の指輪物語も、この時代に読んだんだっけな?結構ファンタジーものにもはまったりしましたね。 そうこうするうちに苦しかったけど今となっては懐かしい三鷹生活も終わり、昭和56年頃からは、大森にアパートを借り、初めて本格的な一人暮らしをスタートしました(学生時代の4年間は下宿でしたから、それなりに回りの目がありました)。そこで結婚するまでの約4年間を過ごしたのですが、読書に関しては、本を読む場所がスナックから自分の部屋に変わったぐらいで、好みのジャンルとかはあまり変わらなかったような気がします。 ただし、読書量は激減しました。というのは、初めてカラーTVを買い、おまけに当時出始めたばかりのビデオデッキまで買ったものだから、TVを見る方に時間を取られ(スポーツ観戦とクイズ番組、それに教養番組中心です)、読書に回す時間が減ったためです。それでもSFマガジン、SFアドベンチャー、SF宝石だけは毎号購入していましたが、さらにパソコン(NEC PC8001)を購入してプログラミング遊びに夢中になる頃には、買っただけで積んでおく状態に近くなっていきました。25年におよぶ読書一筋生活の結果、とうとう既刊本で読みたいものが殆どなくなってしまった、といのも1つの原因だと思います。 |
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| 6.その後、現在に至るまで(昭和58年〜平成14年現在) |
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昭和58年に29歳で結婚してから、読書生活にはかなりの変化がありました。 1つは、自分が勝手に使えるお金が激減したこと。独身の頃は、酒と本が最も大切なもので、これさえあれば、後は死なない程度に食べることが出来ればそれで満足という考え方でした。従って読書にはいくら金をかけても平気でした。 当然ながら二人身になると、こういった行き当たりばったりの生活はできなくなり、月々決まったお小遣いで過ごさざるを得なくなります。そうなると、読みもしない本をとりあえず買っておくようなムダもできなくなり、先ず3冊購読していたSF月刊誌のうち、SF宝石とSFアドベンチャーを諦めることにしました。 本当はSFアドベンチャーが一番面白かったのですが、10年以上購読し続けて来たSFマガジンを諦めることができず、苦渋の決断でした。もっとも、結局最後にはSFマガジンも購読終了したのですが・・そんな状態で、文庫や単行本の購入数も徐々に減っていきました。 もう一つは、それまでとは違う分野への興味が沸き、SFやミステリ以外のハードカバーを購入することが増えたことです。高校生の頃から、講談社のブルーバックスは時々購入していましたが、相対論入門や宇宙創生の謎といった物理分野が中心でした。 それが、30代も半ばを過ぎたあたりから、「もう一度、数学を勉強し直してみたい」という欲求が生まれ、大学の教養課程レベルの本を10冊ぐらい(もちろん一辺にではなく、次々に)購入したり、あるいは図書館で借りたりして、再学習してみました。やり始めて分かったことは、自分の数学的思考レベルがかなり衰退してしまったということ。悲しい事でしたが、完全に読破というか本の最後まで到達できたのは3冊ぐらいでした。 その後、40代を迎える頃から、生物進化について興味を持ち、これまた8冊ぐらい読んでみたり、さらには日本語の起源や文法構造に興味が沸いて、何冊か調べてみたり、というようなことを繰り返して現在に至っております。 4年ほど前に、マイPCを購入して、日曜プログラミングや、プライベートサイト構築、デジタル写真編集と趣味が広がったため、この数年間で購入したハードカバー本は、そういう関係の本が大半です。 そういった中で、購入し続けているのは、ハヤカワ文庫SF、創元推理文庫の新刊本ぐらいですかね。SFでは近年の作家では、J・P・ホーガンなんて、わりとお気に入り。ハードカバーでは、時々、早川書房の海外SFノヴェルズを購入したりしていますが、冊数は年に1冊程度でしょう。あいかわらずアシモフの作品がお気に入りで、他界後の3作家によるファウンデーションシリーズ継承にも興味はありましたが、デヴィッド・プリンの作品だったか1冊だけ試しに購入して読んでみたら、あまりにも読後感がアシモフとかけ離れているので、もう買わないことにしました。 最近のお気に入りは、ダン・シモンズのハイペリオン&エンディミオン4部作です。これって、個人的には1990年代SFの最高傑作だと思いますので、騙されたと思って是非読んでみて下さい(既に文庫になっています)。それにしても、アシモフも亡くなり、クラークの新作もつまらなくなり、かつて私をワクワクさせてくれた作家達の殆どが、舞台から退場してしまいました。それが、この数年殆どSFを読まなくなった一因でもあります。 SF以外では、毎年楽しみにしているのが、塩野七生さんの「ローマ人の歴史」シリーズ。この方の他の作品は殆ど読んでいないのですが、高校生の頃からギリシャ・ローマ等の古代社会には興味があったので、最初の1冊目で夢中になり、以来、年一回の刊行を心待ちにしています。 また最近では、WEBでエッチな小説を読むのが、ちょっとした楽しみになっています。稚拙なものから、なかなか上手く書けていると感心するものまで、レベルのばらつきは大きいのですが、WEBって、この手のジャンルの作品に関しては最高のメディアではないでしょうか? そんなこんなで、最近は文芸本を購入するのは月に1冊あるかないかといった状態。特に40歳を過ぎたあたりから、興味の範囲がやたら広がり、知りたいこと学びたいことが多すぎて、時間が足りない状態なんです。これからも本を読まなくなることはないと思いますが。その読み方も、前述したWEB利用とか変わっていくかもしれません。そんなこと考える今日この頃です。 |