| デビュー当時、ホーガンは「ハードSF」作家として紹介されました。
「ハードSF」とは、私の理解では、「自然科学の法則または仮説を、忠実に作品世界に反映させたSF」です。例えば、中性子星を舞台にして、そこに住む生き物を主人公にした物語を作る場合、重力・磁力等の影響によって、生命形態はどうなるのか、もし知的生物が存在するとしたら、どういう社会ができるか、機械技術はどのようなものになるのか、等々、現在知られている科学法則に矛盾しないように、忠実に検討していくわけです。
そういう点で、ホーガンの作品は確かにジャンルでいえば「ハードSF」です。例えば、第一作「星を継ぐもの」では、月面で偶然発見された、5万年前の人体が発端となり、科学者たちの探求によって、人類の起源が発見されるまでの過程が丹念に描かれます。
また、第2作の「創世記機械」では、自然界の4つの力を統一する理論が生まれ、この応用によって人類の新たな発展の可能性が見えてきます。
ホーガンの全作品に共通するもう一つの特徴は、人間性に対する信頼です。どの作品でも主人公は「社会の幸福につくす」という理念を持った科学者(あるいは、その他の職業)で、自らの科学理論や新発見が社会全体の幸せにつながることを願います。そして、こういった成果を横取りして、自らの利益のみに役立てようとする「悪」と戦うのです。
「悪」のカタチはさまざまで、「創世記機械」では、新理論を新たな兵器として応用しようと企てる、政府や軍首脳部、「ガニメデの優しい巨人」では、太古から密かに人類社会を支配してきた悪玉一派、「断絶への航海」では、古いモラルを植民惑星に強制しようとする守旧派、「量子宇宙干渉機」では、金儲けのことしか頭にない経営者たちです。一方、主人公は頼りになる仲間と共に、こうした「悪」と、頭を使い、また時には力で戦い、最後には勝利を収めます。
科学理論の、ワクワクするような新たな応用を背景に、善が悪と戦い、勝利を収める。研究室の中での勧善懲悪劇とも言えるでしょう。ただし、「悪」と書きましたが、ホーガン世界では、最初は悪の側に立っているものも、自らの過ちに気付き、最後には主人公の仲間になる、というパターンも目立ちます。「本当に悪い奴は確かに存在するが、それは、ごく一握りの人間にすぎない」というのが、ホーガンの信念のようです。
また、もう一つ、ホーガン作品から窺える作者の思想は、「経済的成功を重視しない」ということです。「新技術を発明して、結果として金持ちになっても軽蔑しないけど、カネを儲けることを目的にしてはならない、そういうやつは最低だ」という意識がはっきり見えます。特に「仮想空間計画」では、「成り下がる」という思想が紹介されます。最初、大企業のオーナー社長だった男が、いろいろな変遷の後、最終的に漁師(?だったか忘れました)になって、ようやく真の幸せを得る、という例え話により、「成り下がることこそが、人生最大の成功だ」と語られます。
以上が全体的な特徴ですが、デビューから22年ほどの間に、多少の変化が見られます。
つまり、大きく分けると、1987年の「終局のエニグマ」あたりまでは、ホーガンは「最後には善が勝つ」という自信にあふれているようです。
ここまでの物語は、主人公の側の全面的な勝利で終わります。ところが「インフィニティ・リミテッド」あたりから、その自信がゆらいでいるように感じられます。
「インフィニティ・リミテッド」(これはSFではなく冒険小説のようなものです)では、主人公たちは、アフリカの独裁者打倒に成功します。が、この独裁者の後ろには大国の「影の支配者」が控えており、彼らとの戦いは終わったのではなく、むしろこれからが大変だ、ということが暗示されています。「マルチプレックス・マン」でも、月の自由社会は局地戦には勝ったものの、真の悪である地球政府との戦いはこれからです。
「最後にはきっと善が勝つ・・・だが、それまでの道のりは長い」という、やや弱気な思想に変わったような気がします。この心の迷いは、「量子宇宙干渉機」で、さらにはっきりします。この作品では、主人公は、自分達の「悪い」政府が支配する世界を、最後に逃げ出してしまいます。戦いを放棄してしまうのです!
また、こういった思想の変化とともに、作品の背景も変わっていきます。「内なる宇宙」以降の作品は、何らかのかたちで、精神宇宙が舞台となります。
「内なる宇宙」では超巨大コンピュータの内部にメモリーのパターンから進化した電子社会が自然発生し、主人公たちの精神もビットにコピーされて、この社会に飛び込みます。「マルチプレックス・マン」では、一つの頭脳の中に複数の人格が詰め込まれます。「仮想空間計画」は、コンピュータでシミュレートした社会に精神を投影させますし、「量子宇宙干渉機」では、別の並行宇宙の人間と精神交換、「ミクロ・パーク」では、ナノ(微小)・ロボットの中に精神を投影させます。
ホーガンは現実の物質科学に興味を失いつつあるのでしょうか?それとも人間の心という計り知れない広大な宇宙に、ポジティブな興味を抱いているだけなのでしょうか?
ホーガン作品の魅力は、初期の作品にあふれていた、うそくさいほど単純な「本当に悪い奴は殆どいないし、それも必ずやっつけられる」という思想だったと思います。願わくば、もっと元気なホーガン作品を今後も期待したいものです。
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