今月のお薦め本(1982年11月):コードウェイナー・スミスのSF

<紹介の前に>

以下、私が好きな作家の一人、コードウェイナー・スミスと彼の作品を簡単にご紹介します。もっとも作品を原書で読んだことはないし、彼の伝記を読んだこともありません。従って、作品については早川書房から出版されている3冊の短編集と1冊の長編が頼りですし、作者の紹介についてもこの4冊に書かれている内容に私自身の想いを少々加えたものにすぎません。

ということで、先ず、この雑文を可能にしてくれた早川書房さん、訳者の浅倉久志氏、伊藤典夫氏、そして原書の編集者であるアンソニー・ピアス氏に感謝の言葉を捧げたいと思います。

1.コードウェイナー・スミス(Cordwainer Smith)の簡単な紹介
コードウェイナー・スミス(1913年〜1966年)、本名はポール・マイソン・アンソニー・ラインバーガー、本職は政治学の博士です。母校のジョンズ・ホプキンズ大学でアジア政策講座の教授を務めたこともありますが、むしろ実務の分野で活躍したようです。

大学を卒業する頃には世界情勢が不穏になっており、極東情勢に明るいということでアメリカ陸軍情報部員として中国に派遣され、第2次世界大戦終結までこの地ですごしました。さらに朝鮮戦争の際にはアメリカ軍顧問、後にはケネディ大統領の政治顧問も務めています。

父親は孫文の法律顧問で、「将来大統領にもなれるように」という、この父親のはからいにより出生地こそ米国内ですが、子供時代から青春時代まで、日本、中国、フランスなどの国外で成長しました。そのためもあったのでしょう、日本語、中国語を含む6カ国語の達人でもあったそうです。

「ラインバーガー」という本名も孫文が名付けたもので、「林白楽」を英語訛りで読んだものだとか。ラインバーガー博士のネクタイには、この真の本名が縫いつけられていたそうです。

また博士の一族は英国国教会への信仰が厚く、祖父は聖職者でした。キリスト教への信仰を基底とする「どんな状況でも生き抜く」ということへの賛歌、東洋文化の義と徳への共感、さらに青年時代に一時期傾注した共産主義が訴えた人間性の尊重、この3つがラインバーガー作品の背景にあるのだと思います。

2.作家としての生涯
博士は子供の頃からSFが好きだったようで、14才の時に第一作「第81Q戦争(War No.81-Q)」をワシントンDC公立学校の士官候補生団機関誌に寄稿しています。それほどの名作ではありませんが、しっかりと書かれていて、とても14才の子供の作品だとは思えません。何よりも、この作品は、スミスのSFの殆どを占める「人類補完機構(The Instrumentality of Mankind)」シリーズの記念すべき第1作です。

職業SF作家としてのデビューは36才の時(1950年)、「スキャナーに生きがいはない(Scanners Live in Vain)」。処女作にしてスミスの代表作の一つでもあります。この作品は、戦争中に中国で温めていた構想の結実ですが、1945年に書かれたものの興味を示してくれる出版社がなく、5年後のこの年にマイナー出版社によって日の目を見ました。

第3作目は1955年発表の「鼠と竜のゲーム(The Game of Rat and Dragon)」。これも名作です。この後、1966年、53才の若さで亡くなるまで、分かっている限り33の短編と1冊の長編を残しました(一部の作品は執筆途中に終わり、死後、創作ノートを参考に夫人の手で完成されました)。

「分かっている限り」と書いたのは、この作家は死後に名声を獲得したからで、生前は一部のファンには人気があっても、例えばヒューゴー賞にノミネートされるような注目を集める作家ではありませんでした。そんなわけで初めて全作品を集めようと試みられたのが1975年、死後既に9年経過していました。もともとマイナーな出版社から世に出た作品も多く、このため散逸した作品もあり、編者のアンソニー・ピアスも苦労したようです。

唯一の長編「ノーストリリア(Norstrilia)」も死後の出版です。なお、このあたりの出版事情については、ハヤカワ文庫SFの「第81Q戦争」のあとがきで、伊藤典夫氏が詳しく解説していらっしゃいます。

「コードウェイナー・スミス」名義の作品はSFのみですが、この他「フェリックス・C・フォレスト(林白楽の英訳名ですね)」名義で心理小説が発表されているそうです。また、当然ながら、本名で書かれた専門書も出版されています。

全作品の一覧についてはこちらをご覧下さい。この一覧は、ハヤカワ文庫SF「シェイヨルという名の星」のあとがきで伊藤典夫氏が掲示して下さったものから、初出誌を割愛し、代わりにハヤカワ文庫SFで収録されているタイトルを追記したものです。また、ノーストリリアについては、長編として出版される前、2回ほど2分割本で出版されていますが、これについては記述を省略しました。

3.(閑話休題)日本での出版状況
先に述べたように、スミスのSF作品は5編の短編を除き、「人類補完機構」シリーズを形成しています。作品の殆どが、以下の題名のハヤカワ文庫SF4冊に掲載されています。

(1)鼠と竜のゲーム(SF471 1982年4月30日初版)
(2)ノーストリリア(SF710 ISBN4-15-010710-6 1987年3月31日初版)
(3)シェイヨルという名の星(SF1062 ISBN4-15-011062-X 1994年6月30日初版)
(4)第81Q戦争(SF1180 ISBN4-15-011180-4 1997年2月28日初版)

#1についても今ではISBNコードが打たれていると思いますが、私の手元にある本では分かりません。この本を書店で見つけた時には嬉しくってたまりませんでした。おまけに「人類補完機構(1)」と書かれているものだから、これからどんどんシリーズが訳出されるものだと期待していたら5年間待たされました。#1と#3はアンソニー・ピアス編の短編集を2分割したものなのですが、完訳まで12年かかったわけです。

以上の4冊の他に未掲載の作品が6編残っていますが、どうやら20世紀中には読むことができそうもありません(早川さんお願いだから読者への約束を守って下さい)。

4.人類補完機構シリーズのあらまし
これは一言で言えば、(スミスが生きていた頃の)現代から西暦1万4千年までを背景にした未来史シリーズです。この期間の歴史の流れについては、浅倉久志氏が「ノーストリリア」のあとがきで簡明にまとめられていますので、ここでは極く簡単に説明します。

第2次世界大戦末期、ドイツ人フォムアクトはソ連兵の暴行から守るため、3人の娘を冷凍睡眠し、それぞれロケットで地球周回軌道に打ち上げます。それから2千年後、長女カーロッタのロケットは変わり果てた地上に着陸します。そこは、西暦2千年代から続いた「古代戦争」の結果、中国を除く全ての国家が崩壊し、地上は荒れ果てた世界でした。

生き残った「真人」達は、荒野では人間殺戮機械「マンショニャッガー」や「けもの」に追われ、都市に集まって命脈を保っているものの、「ジウィンツ団」の圧制に苦しめられています。

カーロッタ達3姉妹は、「真人」を率い、バイオ技術による動物改造人間である「下級民」とも協力して「ジウィンツ団」を倒し、人類を助ける機関「人類保完機構」を設置します。そしてヴォマクト家を創出し、人類保完機構の初代長官となります。

これ以降、人類は再び宇宙に進出します。最初は「スキャナー」が管理する光子帆船に植民者を乗せ、何十年もかけて冷凍睡眠で運んでいますが、西暦8千年頃「平面航法」が発見され、「ピンライター」に守られながら遠距離をジャンプする時代に入ります。

こうした宇宙開発の過程で惑星「ノーストリリア」が開拓され、ここで羊のウィルスから延命薬「ストルーン」が発見されます。この薬により、人類の平均寿命は約400才に延びます。人類保完機構に守られたユートピア社会が実現したかと思われます。しかし、西暦1万2千年頃から人類保完機構のマイナス部分が露わになり、社会は閉塞状態に陥ります。

この反動から、西暦1万4千年頃、下級民「ド・ジョーン」の殉教をきっかけに、忘れられていた「古代の有力宗教」が復活し、西暦1万6千年頃には古代の美徳・悪徳の全てを復活させる「人間の再発見」の時代が訪れます。下級民にも人権が認められ、人類と手をとり、さらなる未来へ向けて出発するのです。

5.スミスのSFの魅力
スミス作品の(私にとっての)魅力は次の3点に集約できます。

先ず、満足な説明もなしに突然現れる異様な言葉と状況設定です。例えば「スキャナーに生きがいはない」は、次のような文で始まります。

「マーテルは怒っていた。血液を調節して怒りを引かせようともしなかった。」

マーテルがおそらく人間の男性だと言うことは分かります。また彼が何かにひどく怒っていることも分かります。ですが、「血液を調節して」とは何のことなのでしょうか?このことについて説明もないまま、マーテルは怒りつづけテーブルを蹴り倒してしまいます。そして妻の表情を見て初めて「大音響がしたに違いないこと」に気づき、自分の骨が折れていないかどうか確かめるため脚を見ます。作品は「骨の髄までスキャナーである彼は、自分自身をも走査せずにはいられないのだ。」と続きます。

どうやらマーテルは耳が不自由らしいとは分かりますが、自分の脚が折れているかどうか、「走査」しないと分からないというのはいったい何なのか?そのことはマーテルが「スキャナー」であることと関係があるようだが、そもそも「スキャナー」とは何なのか?作者は「骨の髄までスキャナーである彼は、自分自身をも走査せずにはいられないのだ。」と結ぶことで「どうだ、これだけ説明すれば全部分かったろう」と言っているようです。

さらに読み続けると、「スキャナー」とは、宇宙航行中に人の五感に襲いかかる「大いなる苦痛」に耐えて生き残るための改造人間であり、この目的のために視覚以外の感覚が除去されていること、これを補うため体内に走査装置が取り付けられていることが分かります。しかし、その全貌がきちんと説明されるのは物語も中盤にさしかかる頃です。

「マンショニャッガー」という奇妙な言葉に至っては、同じ「スキャナーに生きがいはない」の中で、荒れ野の「巣穴から飛び出してくる古代のマンショニャッガー」、と語られていますが、この作品中では何の説明も行われません。7年後に発表された「マーク・エルフ」の中で初めて、これがドイツ製の人間殺戮機械であることが明かされるのです。

1つ間違うと読み続ける気力を奪う手法ですが、スミスの場合には、言葉が異様なイメージと絡まっているため、分からないことによって却って想像力と探求心がかき立てられるのです。

2つめの魅力は、どこから思いついたのか想像も出来ない異様なアイデアです。例えば深宇宙の「大いなる苦痛」を防ぐために、宇宙船の外殻を牡蠣で充満させるという理論。牡蠣の生物エネルギーが「大いなる苦痛」を吸収するという筋書きです。

また「鼠と竜のゲーム」では、平面航法中に襲いかかる「竜」と戦うテレパス猫が登場します。ファンタジーじゃないんだから、「普通」のSFなら「竜」の正体についてなにがしか科学的な説明が試みられるところですが、スミスは「深宇宙で人に突然死をもたらす何かが、テレパスには竜に見えるのだ」と言い切ってお終いです。そして、テレパス猫には、同じ「竜」が「鼠」に見えるのだそうです。そして「ピンライター」は、テレパス猫を「鼠」(あるいは「竜」)めがけて「投げつけ」、航行の安全を守るのです(「ピンライター」についてはスミス流に説明省略)。

さらに、惑星「ノーストリリア」を守っている「かわゆいキットン」の正体は、狂ったテレパスミンクです。もともと狂気のミンクを「何世代にもわたる交配によって」「狂気を骨の髄までしみこませた」テレパスミンクです。普段は眠らされ、栄養チューブによって生かされているのですが、ひとたびノーストリリアに危険が近づくと目覚めさせられ、その狂気をテレパシーで撒き散らし、相手を残忍な死に追いやるのです。あのかわいらしい小動物にそんなことが出来るなんて、スミス以外には考えもつかないことでしょう。

この異様なアイデアが全編を支配するのが「シェイヨルという名の星」です。極刑者の流刑の地であるこの星は、ダンテの「地獄篇」をヒントにして書かれたものだそうです。何もない荒野を「ドロモゾア」が群れ飛び、流刑者に、気が遠くなるような苦痛と共に人体部品のタネを植え付けます。流刑者達は余分な頭やら耳やら胃袋やらを体にぶら下げ、人体部品の刈り込みの際に支給される強力麻薬に溺れるのみ、何の希望もなく生き続ける、まさに地獄のような世界が描かれています。

こういった異様さも一歩間違えるとグロテスクで読むに耐えない作品になりえますが、スミスの場合はそこに行く半歩手前で踏みとどまり、異様な故に不思議な魅力があふれる世界を描き出しています。前述した「シェイヨルという名の星」は私にとって初めてのスミス作品であり、今でも一番好きな作品です。

3つ目の魅力は作品の底にある明るさです。たとえ異様で苦痛にあふれた状況の中でも、主人公は生きる希望を捨て去りません。そして最後には人間として価値ある何かを手に入れます。

例えば、「シェイヨルという名の星」でも、最後には人類補完機構が「帝国」の流刑者を解放し、主人公は、地獄の日々を共に生き抜いた女友達と結婚します。この結末がなければ、この作品は薄気味悪い小説で終わっていたでしょう。

「星の海に魂の帆をかけた女」では、主人公は光子帆船に接続され、一時たりとも止むことのない苦痛と戦いながら操船をつづけ、最後には愛しい男の住む惑星に到着します。

犬娘「ド・ジョーンズ」は火炙りの刑に処せられますが、彼女の死は「人間性の復活」と、それに続く下級民への市民権配布につながります。

こんな具合に、スミスは「この世は捨てたもんじゃない」と作品を通じて語りかけているのです。「だから希望を失うな」と。

<おわりに>

以上、つたない文章でスミスを駆け足紹介しました。この人の作品の面白さが少しでも伝わったでしょうか?

伝わったのなら幸い、すぐに書店に行って探しましょう!

伝わらなかったなら、是非、一度試しに読んでみて下さい!