| スミス作品の(私にとっての)魅力は次の3点に集約できます。
先ず、満足な説明もなしに突然現れる異様な言葉と状況設定です。例えば「スキャナーに生きがいはない」は、次のような文で始まります。
「マーテルは怒っていた。血液を調節して怒りを引かせようともしなかった。」
マーテルがおそらく人間の男性だと言うことは分かります。また彼が何かにひどく怒っていることも分かります。ですが、「血液を調節して」とは何のことなのでしょうか?このことについて説明もないまま、マーテルは怒りつづけテーブルを蹴り倒してしまいます。そして妻の表情を見て初めて「大音響がしたに違いないこと」に気づき、自分の骨が折れていないかどうか確かめるため脚を見ます。作品は「骨の髄までスキャナーである彼は、自分自身をも走査せずにはいられないのだ。」と続きます。
どうやらマーテルは耳が不自由らしいとは分かりますが、自分の脚が折れているかどうか、「走査」しないと分からないというのはいったい何なのか?そのことはマーテルが「スキャナー」であることと関係があるようだが、そもそも「スキャナー」とは何なのか?作者は「骨の髄までスキャナーである彼は、自分自身をも走査せずにはいられないのだ。」と結ぶことで「どうだ、これだけ説明すれば全部分かったろう」と言っているようです。
さらに読み続けると、「スキャナー」とは、宇宙航行中に人の五感に襲いかかる「大いなる苦痛」に耐えて生き残るための改造人間であり、この目的のために視覚以外の感覚が除去されていること、これを補うため体内に走査装置が取り付けられていることが分かります。しかし、その全貌がきちんと説明されるのは物語も中盤にさしかかる頃です。
「マンショニャッガー」という奇妙な言葉に至っては、同じ「スキャナーに生きがいはない」の中で、荒れ野の「巣穴から飛び出してくる古代のマンショニャッガー」、と語られていますが、この作品中では何の説明も行われません。7年後に発表された「マーク・エルフ」の中で初めて、これがドイツ製の人間殺戮機械であることが明かされるのです。
1つ間違うと読み続ける気力を奪う手法ですが、スミスの場合には、言葉が異様なイメージと絡まっているため、分からないことによって却って想像力と探求心がかき立てられるのです。
2つめの魅力は、どこから思いついたのか想像も出来ない異様なアイデアです。例えば深宇宙の「大いなる苦痛」を防ぐために、宇宙船の外殻を牡蠣で充満させるという理論。牡蠣の生物エネルギーが「大いなる苦痛」を吸収するという筋書きです。
また「鼠と竜のゲーム」では、平面航法中に襲いかかる「竜」と戦うテレパス猫が登場します。ファンタジーじゃないんだから、「普通」のSFなら「竜」の正体についてなにがしか科学的な説明が試みられるところですが、スミスは「深宇宙で人に突然死をもたらす何かが、テレパスには竜に見えるのだ」と言い切ってお終いです。そして、テレパス猫には、同じ「竜」が「鼠」に見えるのだそうです。そして「ピンライター」は、テレパス猫を「鼠」(あるいは「竜」)めがけて「投げつけ」、航行の安全を守るのです(「ピンライター」についてはスミス流に説明省略)。
さらに、惑星「ノーストリリア」を守っている「かわゆいキットン」の正体は、狂ったテレパスミンクです。もともと狂気のミンクを「何世代にもわたる交配によって」「狂気を骨の髄までしみこませた」テレパスミンクです。普段は眠らされ、栄養チューブによって生かされているのですが、ひとたびノーストリリアに危険が近づくと目覚めさせられ、その狂気をテレパシーで撒き散らし、相手を残忍な死に追いやるのです。あのかわいらしい小動物にそんなことが出来るなんて、スミス以外には考えもつかないことでしょう。
この異様なアイデアが全編を支配するのが「シェイヨルという名の星」です。極刑者の流刑の地であるこの星は、ダンテの「地獄篇」をヒントにして書かれたものだそうです。何もない荒野を「ドロモゾア」が群れ飛び、流刑者に、気が遠くなるような苦痛と共に人体部品のタネを植え付けます。流刑者達は余分な頭やら耳やら胃袋やらを体にぶら下げ、人体部品の刈り込みの際に支給される強力麻薬に溺れるのみ、何の希望もなく生き続ける、まさに地獄のような世界が描かれています。
こういった異様さも一歩間違えるとグロテスクで読むに耐えない作品になりえますが、スミスの場合はそこに行く半歩手前で踏みとどまり、異様な故に不思議な魅力があふれる世界を描き出しています。前述した「シェイヨルという名の星」は私にとって初めてのスミス作品であり、今でも一番好きな作品です。
3つ目の魅力は作品の底にある明るさです。たとえ異様で苦痛にあふれた状況の中でも、主人公は生きる希望を捨て去りません。そして最後には人間として価値ある何かを手に入れます。
例えば、「シェイヨルという名の星」でも、最後には人類補完機構が「帝国」の流刑者を解放し、主人公は、地獄の日々を共に生き抜いた女友達と結婚します。この結末がなければ、この作品は薄気味悪い小説で終わっていたでしょう。
「星の海に魂の帆をかけた女」では、主人公は光子帆船に接続され、一時たりとも止むことのない苦痛と戦いながら操船をつづけ、最後には愛しい男の住む惑星に到着します。
犬娘「ド・ジョーンズ」は火炙りの刑に処せられますが、彼女の死は「人間性の復活」と、それに続く下級民への市民権配布につながります。
こんな具合に、スミスは「この世は捨てたもんじゃない」と作品を通じて語りかけているのです。「だから希望を失うな」と。 |