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ソイレント・グリーンは近未来(2020年頃)のニューヨークを舞台にした殺人ミステリーですが、ファニチュア・ガール(高級邸宅の付属品として付いてくる、アンティークな家具ならぬ家付き美女)というアイデアが使われているとのこと。 今では相当問題になりそうな設定で、2020年にそんな文化が出現することも到底考えられませんが、1970年頃には50年後の文化背景として、さほど違和感のない設定だったのでしょうか? ***************************** さて、今月号は7つの短篇と巻末ノヴェルという構成です。そのうちの半分(4作品)は近未来SFという点で共通しているので、後で対比しつつご紹介することにして、まずはそれ以外の4作品を片づけましょう。 「プロセス」は異星の知性ある森を主人公とした物語です。この知性ある森は、自らの縄張りを守り広げようと、他の森や時折飛来する宇宙船と戦いを繰り広げます。「知性ある森」という異質の生命体のはずなのに、まるで人間のような論理で思考するという、いかにもヴォクトらしいお話です。 宇宙船ビーグル号の一話に組み入れられても違和感がなさそうですが、逆にこういう話は連作でないとインパクトが薄いような気がします。 「私は変身する」はちょっぴりブラック風味のユーモアSFです。ストーリーを紹介してもあまり意味はないのですが、着陸中の空飛ぶ邸宅を訪れた主人公が連続殺人事件の犯人を捕まえるお話。個人的には空飛ぶ邸宅というアイデアが妙に気に入りました。 「マッシュルーム」は「街の博物誌」シリーズの第5話。背景は現代です。 今回はいつもにまして不気味なお話。近所の子供と遊んで帰ってきた娘の様子がおかしい。何を聞いても、何か上の空でぼーっとしています。そして翌日、娘の姿がきえてしまいます。夫婦は遊びに行きそうなところを捜索するのですが・・・ 「かくもあわれな物語」では、ある夜主人公が心地よくまどろんでいると、どこからか助けを求める声が聞こえてきます。それは最近不可解な天変地異に襲われ文明存亡の危機に陥っている種族からのメッセージでした。彼らは主人公だけが彼らを助けることができるといいます。それも実に簡単な方法で・・・ ***************************** 残りの4作品については、各作品中に語られている近未来社会像に軽く触れつつご紹介致しましょう。 「タイウッド教授の実験」はアシモフお得意の謎解きSFです。ある夜、米国最大の原子力発電所で不可解な事故が発生します。それは、全ての核燃料が爆発することなく、放射線すら発生させずに一瞬で消費されてしまうという出来事でした。そして発電所内には著名な物理学者の遺体が、ギリシャ語で書かれた化学の教科書とともに残されていました。 一気に放出されたはずの核エネルギーはどこに消えたのか?遺体で発見された物理学者(彼は第二次世界大戦中に原子力爆弾の開発に携わったことを悔やんでいました)との関わりは?そして彼は何のために化学の教科書をギリシャ語に翻訳させたのか? 謎解きを楽しむお話で、社会的背景については特に語られていないように見えますが。この小説の初出は1949年!アメリカ最大どころか、世界中のどこにも原子力発電所など存在していない時代でした。 原子力発電所の建設計画すら存在しない時代に、原子力発電に係わる事故について思いをはせる・・・これこそがセンス・オブ・ワンダーの源流なのかもしれません。 「停戦」は近未来戦争SF。最前線の「監視所」でたった一人、囮役を命ぜられた兵士が、突如として革命的な新兵器を考案し、わずか数週間で実用化に成功します(アリエネー)。まるでレンスマンの世界ですね。「いつまでも続く戦争」がテーマになっているのは、米ソ軍備拡張戦争まっただ中という時代背景(本作品の初出は1958年)を反映しているのだと思います。 「巫山の夢」は近未来社会にミュータント信仰が蔓延し、「心理警察」が捜査に乗り出すのですが、実はミュータント信仰の発生源は・・・というお話。正直なところ、読んでいて特にドキドキもワクワクもせず「この雑文を書くためだけに読み通しました」という感じです。作品中「20〜30年前の1980年〜1990年」と書かれているので、2010年頃を想定していると思われるのですが、あまりにも描かれているテクノロジー(既に多くの恒星系が探検されている)と現実の2007年のテクノロジーがかけ離れていて、それだけでうさんくさい印象を抱いてしまったように思います。 また文化的にも、「男に騙され、もてあそばれて、子を産まされた腹癒せに、相手と子を殺して自分も死ぬ」という事件が「あまりにも古風に過ぎる」と感じられる社会というのは、現実の現代とあまりにもかけ離れているように感じます。少なくとも社会批評等を目的とした作品でもなさそうなので、どこともいつとも分からない社会を背景にした方が違和感なく読めそうな気がしました。 「閉ざされた水平線」も(多分)近未来の冒険SFです。アメリカの大学生である主人公が反世界政府運動に巻き込まれ、恋人と逃避行するお話。アクションシーンはスピード感もあってそれなりに楽しめたし、海面が酸素を生み出すための植物プランクトンで被われている等、いかにも近未来的なシーンも魅力的なのですが、この作品が書かれた時代(1960年〜70年頃)の学生運動の図式(圧制者としての政府と自由民としての学生との対立構造)をそのまま全世界における基本的な対立構造として敷衍したような社会が描かれており、この点に違和感を感じてしまいます。 もっとも、作品中では時代が特定されていないので、例えば200年後にこういう社会が現出する可能性も皆無ではないのでしょうが、学生達のらんちきパーティーの描写などからは、さほど現代と時代が離れていないような印象も受けるので、それが違和感を感じる理由かもしれません。 ***************************** こうしてみると、現実の社会的背景をいくつも近未来小説に持ち込んでしまうと、数十年後には各描写間の時代的な不整合が露わになり、これが時代がかった印象、あるいは違和感を与えてしまうように思えます(「巫山の夢」も「閉ざされた水平線」も、当時は楽しく読めたはずです)。逆に「ファニチュア・ガール」のような現実と断絶した設定は、おそらくいつになっても、現実と違うという違和感を感じさせないように思います(所詮作り話ですから)。この辺りが近未来小説の難しさなのかもしれない、そんなことを感じました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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