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短篇で一番だと感じたのは、ディックの「追憶売ります」。映画「トータル・リーコール」の原作ですね。 夢と現実の境界が失われるという(中後期の)ディックらしさが比較的に薄い作品ですが、少しだけオチの効いた娯楽小説といったところでしょうか。有名な作品なので内容紹介は割愛。 ディック作品という贔屓目を外せば、「最高兵器」が一番面白かったかもしれません。 超能力者を使って未来の最高兵器を手に入れるという国家プロジェクトが成功間近となり、はれの実証実験の場に将軍が招かれます。自信満々の科学者達は「これで、あなたは失業ですね」などと将軍をからかうのですが、さて実験の結果は・・・ ありがちのオチではありますが、それなりにニヤリと楽しめます(結末は当然に割愛)。 「遂行への指令」も超能力ものですが、こちらは徐々に超能力に目覚めつつある主婦を主人公とした、ぐっとシリアスなお話。 気が違ったのではないかという漠然とした不安感に怯える彼女に、別の孤独な超能力者(若い男性)から、一刻も早く会いたいという、テレパシーによるメッセージが届きます。彼女はますます自分の心におびえ、そして男の誘いに恐怖を覚えます。そして・・・ もう一つの海外作品「水星に太陽が」も、ある意味で超能力がテーマです。水星に着陸した探検隊に、次々と不可解な事故が発生するお話。別の見方をすれば、ミステリーSFですね。 ************************************** 「産霊山秘録」が今月号で完結しました。前作で戦国時代から時を超えてやってきた飛稚ですが、その後、行方不明になったもよう。 この最終話では、彼の世話になった戦災孤児達(そのうちの何人かは、今では政治的に影響力ある立場におさまっています)が、その行方を突き止め、取り戻す過程が描かれています。 30年ぶりにシリーズ全体を読み直してみて、この作品のバックボーン・アイデアは「ゲイトウェイ」であることに(勝手に)気付きました。 宇宙全体を覆い尽くす移動拠点というアイデアを半村流に料理すると産霊山になるのかと気付いた次第(むろん、テーマは全く違います・・・って本当かな?・・・)。この部分、少々ネタバレ気味で申し訳ありません。気になった方は、フレデリック・ポールの「ゲイトウェイ」シリーズと合わせてお読み下さい。 ************************************** 「白い環」は荒巻義雄氏一流の不条理世界物語です。時は恐竜が出現する前の超古代。そそり立った巨大な崖の片面に、どういうわけか人間社会があり、人々は崖を穿って作り出した家に住んでいます。そして崖の対面を見ると、まるで鏡を見るように、常にこちらがわの様子が映し出されているという、不思議な世界設定です。 崖の頂上から下の川までつづく道があり、主人公はこの川で水を汲んで上の方で売るという「水売り」を生業にする青年。彼はある日、意を決して崖の頂上での大トカゲ狩りに挑み、これに成功して職業を「トカゲ狩り」に変えます。そして、不思議な美しい女性の家に招かれ、奇妙な仕事を引き受けます。 こんな風に書くと、まるで冒険もののように聞こえますが、それは全く違います。実際の所、それぞれの出来事に意味があるのか、この社会はいったいどうやって成立したのか、さまざまな疑問に対しての回答は、垣間見えるのものの決して明確には語られず、逆に新たな疑問が増していきます。何だか疑問に疲れて消化不良のような状態になったところで物語が終わるという、実に精神衛生的には宜しくないお話です。ま、この奇妙な雰囲気を楽しみたい方は一読あれ。 ************************************** 「幻覚の地平線」は田中光二氏のSFマガジンというか商業誌デビュー作。この作品は「宇宙塵」に連載されたものの転載です。執筆当時を基準にした近未来(1995年)のアメリカ合衆国が舞台。何でも1980年代にヒッピー活動が最高潮に達し、ヒッピー達は世界各地で独立社会を営むようになったという設定です。 ここ北アメリカにも彼らの広大な独立居住区があり、合衆国政府はヒッピー達と一般市民の交流を防ぐために、居住区の境界を監視しております。そして、主人公のような交易商人達だけが許可を得て居住区の中に入っていくことができます。 主人公は政府の罠にはまり、犯罪を帳消しにすることと引き替えに、居住区内をスパイするように要求されます。何でもここのところ、居住区内で不審な活動があり、これを探ろうとして潜入した工作員は悉く行方不明になったとのこと。主人公はやむなく任務を引き受け、交易商人として居住区内に入るのですが、そこで出会った一族(アメリカインディアン風の生活を営んでいるようです)が、何か隠し立てしていることに気付きます。 そして一族の酋長の妻の一人に気に入られ、全ての部族による集会が行われるという場所を目指して、彼女と共に旅を続けるのですが、その途中で麻薬中毒者に襲われます。今月号はここまでで終わり、以降は1973年1月号(現在、手元にございません)に掲載。ということは、続きをご紹介できるのは1年後ぐらいでしょうか? ************************************** 「幻覚の地平線」は冒険小説としては面白いのですが、背景となっているヒッピー社会については疑問を抱かざるを得ません。作者はある程度この「ヒッピー社会」に共感を持っているように思われるのですが(この点、後篇未読(というか昔読んだはずですが忘れました)なので確かとは言えません)ワタシにはちっとも共感できません。 というのも、現状の社会に反発し「自分たちだけの理想社会を築く」という思想を持っていると思われますが、現実には交易商人からマリファナを買って、それによって瞑想にふけるという、現状の社会に依存することが「自分たちだけの社会」の前提になっていると思われるからです。そんなのちっとも「自分たちだけの」社会じゃないじゃん。と、素朴な疑問を捨てることが出来ません。 そういえば、現実の「ヒッピー」達は今はどうしているのでしょうか?「ヒッピー」という言葉も死語になったような気がするし・・・ひょっとしたら、良かれ悪しかれ理想を追いかけた「ヒッピー」に変わる今の存在が、何の目的もなくぶらぶらしているという「ニート」なのでしょうか? そして良かれ悪しかれ革命思想にすがろうとした学生運動に変わるものが、祭りの屋台と化した「学園祭」だったりするのだろーか? なるほどそれが進歩ってものか、と一人で(ハーラン・エリスン風に)納得したところで1972年代のSFマガジンの紹介は完了です。実家から1973年代のSFマガジンを持ち帰るまで、しばらくの間、さよーなら。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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